<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/" /><modified>2026-04-15T20:35:38+09:00</modified><entry><title>（中古）ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456980" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456980</id><issued>2026-04-15T14:10:01+09:00</issued><modified>2026-04-15T05:10:01Z</modified><created>2026-04-15T05:10:01Z</created><summary>※2004年の本ですが、中身の使用感も少なく、帯も付いていて比較的綺麗です。

内容説明
テロ、パレスチナ・イスラエル問題、アメリカの世界戦略…激動の現代を理解するには宗教を知ることが必要不可欠である。各宗教の代弁者にインタビューを試み、世界を動かす一神教を...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[※2004年の本ですが、中身の使用感も少なく、帯も付いていて比較的綺麗です。

内容説明
テロ、パレスチナ・イスラエル問題、アメリカの世界戦略…激動の現代を理解するには宗教を知ることが必要不可欠である。各宗教の代弁者にインタビューを試み、世界を動かす一神教をわかりやすく解説した、鋭い洞察力が冴え渡る宗教講座。

目次
第１部　ユダヤ・キリスト・イスラム　一神教の世界はこうなっている（ユダヤ教はこうして生まれた；キリスト教はこうして生まれた；イスラム教はこうして生まれた）
第２部　ユダヤ・キリスト・イスラム　一神教それぞれの言い分（キリスト教の言い分―代弁者パット・ロバートソン；ユダヤ教の言い分―代弁者ラビ・マーヴィン・トケイヤー；イスラム教の言い分―代弁者ムサ・モハメッド・オマール・サイート）
後書きにかえて―アメリカの友人からの手紙
一神教の世界を読み解く資料篇

著者等紹介
井沢元彦［イザワモトヒコ］
１９５４年愛知県生まれ（本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです）
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出版：徳間書店]]></content></entry><entry><title>（中古）カトリック教会の諸宗教対話の手引-実践Q&amp;A</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456931" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456931</id><issued>2026-04-15T14:04:57+09:00</issued><modified>2026-04-15T05:04:57Z</modified><created>2026-04-15T05:04:57Z</created><summary>※使用感も少なく、帯も付いていて比較的綺麗です。

キリスト信者が極めて少ない日本では、カトリック信者がさまざまな宗教の人とかかわり、他宗教の行事に参加する機会も多々あります。
その際に感じる疑問や戸惑い、それら種々の問題に答えるべくまとめられたのがこ...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[※使用感も少なく、帯も付いていて比較的綺麗です。

キリスト信者が極めて少ない日本では、カトリック信者がさまざまな宗教の人とかかわり、他宗教の行事に参加する機会も多々あります。
その際に感じる疑問や戸惑い、それら種々の問題に答えるべくまとめられたのがこの手引き書です。
『祖先と死者についてのカトリック信者の手引』の後継図書として、さらに充実した内容となっています。

出版社: カトリック中央協議会

日本カトリック司教協議会諸宗教部門編

発売/発行年月: 2009年11月
判型: Ｂ６
ページ数: 152]]></content></entry><entry><title>カトリック教会の諸宗教対話の手引-実践Q&amp;A</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456896" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456896</id><issued>2026-04-15T14:04:00+09:00</issued><modified>2026-04-15T05:04:00Z</modified><created>2026-04-15T05:04:00Z</created><summary>キリスト信者が極めて少ない日本では、カトリック信者がさまざまな宗教の人とかかわり、他宗教の行事に参加する機会も多々あります。
その際に感じる疑問や戸惑い、それら種々の問題に答えるべくまとめられたのがこの手引き書です。
『祖先と死者についてのカトリック信...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[キリスト信者が極めて少ない日本では、カトリック信者がさまざまな宗教の人とかかわり、他宗教の行事に参加する機会も多々あります。
その際に感じる疑問や戸惑い、それら種々の問題に答えるべくまとめられたのがこの手引き書です。
『祖先と死者についてのカトリック信者の手引』の後継図書として、さらに充実した内容となっています。

出版社: カトリック中央協議会

日本カトリック司教協議会諸宗教部門編

発売/発行年月: 2009年11月
判型: Ｂ６
ページ数: 152]]></content></entry><entry><title>（中古）神学部とは何か　非キリスト教徒にとっての神学入門</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456831" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456831</id><issued>2026-04-15T14:00:18+09:00</issued><modified>2026-04-15T05:00:18Z</modified><created>2026-04-15T05:00:18Z</created><summary>※状態は悪くありません。

「神学とは何か」。

本書では、神学の場(トポス)である「神学部」とは何かを問うことによって、この問いに答える。

これは著者自身の神学部での経験を通して描かれた、ユニークな自伝的「神学部論」かつ「神学論」でもある。

まだ神...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[※状態は悪くありません。

「神学とは何か」。

本書では、神学の場(トポス)である「神学部」とは何かを問うことによって、この問いに答える。

これは著者自身の神学部での経験を通して描かれた、ユニークな自伝的「神学部論」かつ「神学論」でもある。

まだ神学を知らないすべての人にその魅力を語る、渾身の神学入門書。


著者：佐藤優
出版：新教出版社
 ]]></content></entry><entry><title>（中古）主の晩餐　現代アメリカにおける聖餐への問い</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456806" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456806</id><issued>2026-04-15T13:58:41+09:00</issued><modified>2026-04-15T04:58:41Z</modified><created>2026-04-15T04:58:41Z</created><summary>※使用感も少なく綺麗ですが、見返しに訳者から贈呈者へのメッセージが書かれています。


主の晩餐に対する改革派教会の歴史的な理解を諸教派の見解と比較しながら明らかにし主の晩餐への新たな渇望を呼び覚ます
われわれは、なぜ、主の晩餐を食すのか、いかにして主...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[※使用感も少なく綺麗ですが、見返しに訳者から贈呈者へのメッセージが書かれています。


主の晩餐に対する改革派教会の歴史的な理解を諸教派の見解と比較しながら明らかにし主の晩餐への新たな渇望を呼び覚ます
われわれは、なぜ、主の晩餐を食すのか、いかにして主の晩餐においてキリストに与るのか、誰がこの「交わり」（コミュニオン）に加えられるのかなど、主の晩餐をめぐる諸問題を、聖書から説き明かす。

目次

　はじめに

　一章　主の晩餐の聖書的根拠
　　　一　主の晩餐と過越の食事
　　　二　新約聖書の用語
　　　　　　? パン裂き
　　　　　　? 主の食卓
　　　　　　? 主の晩餐
　　　　　　? 与ること･交わり（コミュニオン）
　　　　　　? ユーカリスト（感謝）
　　　三　聖餐式で、何が起こっているのか
　　　　　　? 記念
　　　　　　? 福音の宣教
　　　　　　? 主の体と血との「交わり」またはそれらに「与ること」
　　　四　「命のパン」としての主イエス
　　　　　　― ヨハネによる福音書　六章四七・五八節の考察―
　　　　　　（一）その文脈
　　　　　　（二）信仰を通して、主イエスは与えられる（ヨハネ六・四一―四七）
　　　　　　（三）主の晩餐において、主イエスは食され、かつ飲まれる（ヨハネ六・四八―五八）
　　　五　主の晩餐に関連する他の聖書箇所

　二章　教会史における主の晩餐

　　　一　物体的現臨――実体変化説
　　　二　物体的現臨――共在説
　　　三　不在という現実――記念説
　　　四　霊的現臨――霊的な交わり

　三章　改革派神学における主の晩餐
　　　一　ジャン･カルヴァン
　　　二　ウェストミンスター信仰規準

　四章　主の晩餐の実践
　　　一　主の晩餐の物素
　　　　　　? 一つのパン
　　　　　　? 一つの杯
　　　　　　? ぶどう酒
　　　　　　? 酵母のないパン？
　　　二　幼児洗礼を受けた子どもたちへの配餐？
　　　三　主の晩餐の頻度

　結び　主の晩餐とその未来

　訳者あとがき


まえがき

主の晩餐は、主イエス御自身によって始められたものであり、主イエスが再臨なさる時まで、これからもずっと執り行われることでしょう。わたしたちの主が、御自身の教会とその教会員の益のために、また御自身の栄光のために、主の晩餐を制定してくださいました。しかし、悲しいことに二つの誤りによって、教会の多くの部分が、新約聖書の福音書や手紙に表されている主イエス御自身の御旨から引き裂かれてしまいました。誤りの一つは、サクラメントは執行された事柄そのものによって霊的な恵みを伝える、とローマ･カトリック教会が教えてきたことであり、この教えは、パンとぶどう酒が実際のキリストの体と血へと変わり、キリストの体と血になる、と主張してきました。そしてもう一つの極端な誤りは、聖書に拠って立つ多くの教会が、ローマ･カトリック教会に対してあまりに反発した結果、主の晩餐を恵の手段とは考えず、ただの象徴に過ぎず、わたしたち自身の記念という人的行為から成るもの、と考えるようになったことです。

主の晩餐において、厳密に何が起きているのかをめぐって、改革者たちの間には決定的な違いがあります ―本書では、ルター派と改革派との不一致が論じられています―。しかし、 改革者たちがこれら両方の過ちを退けたことは明らかです。改革者たちは、恵みは事実上自動的に伝えられる、とのローマ･カトリック教会の教えを退ける一方で、わたしたちがキリストに与り、キリストを食べるという事実を強調して、主の晩餐には象徴以上のものがある、と主張しました。

聖餐の交わりにおいて、豊かな霊的な祝福がわたしたちを迎えてくださると確信するのは、本書で記されているとおり、スコットランドの偉大な神学者であるロバート･ブルースが述べたように、わたしたちは ―信仰において― 「よりよくキリストに与る」ことができるからです。わたしが望むこと、またわたしの祈りは、この訳書が日本の教会にとって益となり、わたしたちが皆、聖霊によって、信仰をとおして、キリストを食べ、キリストとの交わりと一体性において成長し、そうして、聖霊において、聖にして不可視なる三位一体の一致において、御父を知るようになることです。このことは、教会にとって大いなる益となるばかりでなく、わたしたちの様々な諸文化に対しても、福音の影響力をよりいっそう強めていくことになるでしょう。

2007年7月　ロバート・リーサム
訳者あとがき

本書はRobert W.A. Letham, The Lordﾕs Supper: Eternal Word in Broken Bread,（Presbyterian & Reformed Publishing Company,2001）の全訳です。

著者ロバート･リーサムは、ロンドンで生まれ、エグゼター大学で政治学を学び、その後、ウェストミンスター神学大学で、宗教学修士（七五年）と神学修士（七六年）を修め、アバディーン大学で「改革派神学における救いの信仰と保証…ツヴィングリからドルト会議まで（Saving Faith and Assurance in Reformed Theology: Zwingli to the Synod of Dordt）」という主題の論文で博士号（Ph.D）を取得しました（一九八〇年）。

リーサムは、二〇〇六年まで、北米アメリカの改革派･長老教会の中でも、メイチェン以来の伝統を受け継ぎ、ウェストミンスター信仰規準に堅く立つ「正統長老教会（Orthodox Presbyterian Church）」に所属するインマヌエル正統長老教会の主任牧師を十七年務め、他方で、ウェストミンスター神学大学の准教授職に従事し、その他、ワシントンＤＣにある改革派神学校でも組織神学を教えてきました。そして最近、前出の教会の牧師を辞し、二〇〇七年一月から、イギリスのウェールズ福音主義神学校（Wales Evangelical School of Theology）でも組織神学を教え始めるなど、大西洋をまたぐ形で、神学教師としての務めに専念しています。

本書の他に、リーサムによる書物は次のものがあります。
・The Work of Christ（IVP, 1993）
・The Holy Trinity（Presbyterian & Reformed, 2004）
・Through Western Eyes: Eastern Orthodoxy, A Reformed Perspective（Mentor, 2007）

更に、近日発売が既に告知されているタイトルとして、次の書物があります。
・Assurance in Theological Context: Reformed Dogmatics 1523-1619（Rutherford Studies in Historical Theology, 近日刊行）
・The Theology of the Westminster Assembly（Presbyterian & Reformed / Craig Center for the Study of the Westminster Standards, 近日刊行）
・Union with Christ（Presbyterian & Reformed, 近日刊行）

このように、これまで取り組んできた課題を精力的に執筆するなど、リーサムは今後、改革派の立場からは、よりいっそうの活躍が期待される神学者の一人となることでしょう。

本書は、第一章で主の晩餐に関わる聖書箇所が釈義的に検証され、続く第二章では、史的観点から、カトリックや正教会、ルター派や改革派、それぞれの聖餐理解の変遷や特徴、またその問題点が鮮明に述べられ、第三章では、カルヴァンの理解とウェストミンスター信仰規準に基づいて、宗教改革の時代から継承していた聖餐に対する改革派の立場が考察され、第四章では、現代における実践上の諸問題や課題について述べる、という仕方で、聖餐に対する複合的な観点から、重要な点が非常にコンパクトに整えられ、改革派・長老教会の聖餐論を見事に提供していると言えます。

ただし本書は、アメリカという文脈を背景に記されたものであるため、例えば「十八世紀の禁酒運動」など、必ずしも日本の文脈にそぐわない記述があります。しかし、本書全体を通して示されている内容は、とくにアメリカを経由して伝えられた日本のプロテスタント教会にとっても、十分一読に値するものです。読者諸氏にとって、本書に記されていることが、たとえ全面的に賛成ではないにせよ、おもに改革派･長老教会が聖餐について、歴史的に、どのような神学的な立場を取ってきたのかを整理しなおすことができます。そして現在におけるわたしたちの教会の聖餐（主の晩餐）理解やその実践について改めて吟味することができます。そして、本書の随所で示される問題提起と主張、そして課題は、長老教会に関わる者だけでなく、日本におけるプロテスタント諸教会にとっても、聖餐理解を神学的に検証する上で、とてもよい材料を提供している、と確信します。

本書は、いたずらに聖餐理解の妥協点を見出そうとするよりも、むしろ宗教改革期の聖餐をめぐる戦いをあえて再現することにより、いかなる論争が繰り広げられてきたのかをつまびらかに論じることで、今日において曖昧とされ、あるいは歪められつつある聖餐の要点に切り込んでいきます。特に、聖餐理解をめぐって殉教したイングランドの改革者たちについて述べる際、「殉教者たちは、主の晩餐が福音の縮図であることを的確に認識していました。主の晩餐に関して、人がどのような立場に立つのかは、その人がキリスト教信仰の全体をどのように理解しているのかを示す正確な指標です」（四七頁）との著者の言葉は、まさしくそのとおりです。

本書の翻訳へと駆り立てられた一因は、訳者が所属する日本基督教団における「未受洗者陪餐」という看過できない重大な問題です。現在、アメリカとイギリスの牧師養成の神学校において組織神学を講じる一神学者によって書かれた本書は、この問題に対しても、神学的、教会史的、そして聖書的な筋道を提供すると共に、長老教会の立場から、あるいは長老教会の立場に対して、聖餐の問題を考察する資料の一つとなることを期待しています。「はじめに」で、著者リーサムが打ち鳴らす警鐘は、日本の教会の現状にも、確かに鳴り響いています。ですから日本でも、牧師、神学生はもとより、長老たちの研修や信従の学習会のテキストとしても、本書が読まれ、有効に活用していただければ、幸いです。

さて本書は、出版された二〇〇一年当時、リーサムが牧師として仕えてきたインマヌエル正統長老教会の長老会とその会衆に対し献呈されました。訳者もまた本書を、二〇〇一年四月から主任担任教師として仕え、未熟な牧師を絶えず祈りと忍耐をもって支えてくださった日本基督教団富田林教会の長老会と会衆に、本年七月をもってその職を辞す節目に、感謝して献呈したいと思います。殊に、石原冨美子、植木孝治、岡本恭司、奥田繁子、藤田鹿一、山岡陽子、各長老には、共にキリストの主権を確立するために教会形成に取り組んだ日々を思い、感謝を申しあげます。願わくは、富田林教会がこれからもＡ・Ｄ・ヘール宣教師の宣教開始から受け継いできた長老教会としてのよき伝統を受け継ぎながら、また改革教会としての神学的理解を豊かに活かしながら、いよいよ主の御心に適う「キリストの体」として成長し、前進することを、心から祈り願います。

翻訳にあたり、訳者の拙い原稿に目を通し、不備を指摘すると共に、数々の貴重な助言をくださった関川泰寛先生（十貫坂教会牧師・東京神学大学教授）と秋山英明先生（大阪南吹田教会）に対し、心から感謝を申し上げます。それでも尚、翻訳上の責任は訳者にあり、数々の至らない点は、読者のお許しを請いつつ、ご叱正、ご教示をお願いいたします。

最後に、本書の意義を理解し、出版の路を開いてくださった一麦出版社の西村勝佳氏に、心から感謝を申しあげます。

二〇〇七年六月　富田林教会にて　原田浩司
書評

主の晩餐への新たな渇望を呼び覚ます

著者ロバート・リーサムは、現在米国のウェストミンスター神学校、改革派神学校（ワシントンＤＣ）、そして英国ウェールズ福音主義神学校と、大西洋をまたいで組織神学を講じ、近年、精力的に執筆活動を行っている神学者である。著者がこの書を執筆した理由を「はじめに」から引用しよう。「本書は、これまで述べてきたような主の晩餐に対するいいかげんさが、いかに悲劇的なものであり、その改善がいかに緊急の課題であるのかを論証することにあります」。この一文から、著者が、主に米国における今日の諸教会において、宗教改革の時代に比して、あまりにも主の晩餐が貶められている現状を憂い、本書を執筆したことが伺える。彼は、こうした聖餐を軽んじる傾向の一因として、十八世紀の信仰覚醒運動や福音伝道主義の出現等により、教会とサクラメント以上に、個人の回心体験を偏重する信仰の個人主義化への傾斜があるのでは、と指摘する。

訳者原田浩司氏のあとがきにも、「本書の翻訳へと駆り立てられた一因は、訳者が所属する日本基督教団における『未受洗者陪餐』という看過できない重大な問題からです」と記されている。恥を晒すようだが、日本基督教団内で「未受洗者陪餐」を実行する教会が出てきている。数十年前から既に兆候はあったが、今日その乱れは益々顕著に現れてきている。著者も訳者も、この二千年の教会の伝統、そして宗教改革の遺産を覆すこの現状を憂慮し、切なる願いを持ってこの書を著したのである。

さて、本書は四部から成り、第一章では主の晩餐の聖書的根拠が検証されている。特にここではヨハネ六章の釈義に多く割かれている。それは著者が、主の晩餐とは、何より、パンと杯を通して、キリストの体と血とに与り、キリストと一体となることに他ならないことを聖書から証言するためである。そしてそのことが歴史的教会の中で、いかに現実化されてきたのかが、第二章の「教会史における主の晩餐」で検証されていく。この章は「一物体的現臨――実体変化説、二物体的現臨――共在説、三不在という現実――記念説、四霊的現臨――霊的な交わり」とあって、項目だけ見ても想像できるように、しるし（物素）と実体（キリストの現臨）の関係の急所が押さえられている。すなわち、しるしと実体を同一視することで、信仰の必要性が失われ、聖餐が迷信化・偶像礼拝化してしまうこと、また聖餐が単なる記念のしるしであれば、キリストの体を喪失してしまうことが指摘されている。第三章「改革派神学における主の晩餐」では、先ず改革者カルヴァンの聖餐理解が改めて説かれ、そこからさらに著者の拠って立つ信仰規準であるウェストミンスター信仰告白の第二十九章に示された聖餐理解が検証され、実体変化説や共在説を退ける根拠が明示される。第四章「主の晩餐の実践」では、執行者がなぜ適切に按手を受けたみ言葉の役者でなければならないのか、物素や、晩餐の頻度、幼児洗礼を受けた子どもへの配餐は相応しいか等について、著者の見解や提言がなされている。特に幼児洗礼を受けた子どもへの配餐が近年増えてきている。実はその根底に、実体が変わるのだから信仰が特に必要とならない実体変化説、あるいは、聖餐を単なる象徴として、誰がそれに与ろうとも問題とはならないような記念説が潜んでいると指摘し、聖餐理解への警鐘を促している。

本書は、コンパクトながら、改革教会の聖餐論を明確に示す好書である。いや一教派教会の神学に留まらず、二千年の伝統を生き抜いてきた教会の、特に宗教改革以降の福音主義教会の土台となってきた聖餐の本質を再確認させる良書である。この書を学ぶことによって、未受洗者陪餐の問題の急所は、まさに「教会は主キリストのからだにして、恵みにより召されたる者の集い」（日本基督教団信仰告白）であることを信じる信仰の喪失現象であることが明瞭となってくる。

あらためて、聖霊の働きを信じ、み言葉に導かれ、天を仰ぎつつ、「新たな渇望」を持って主の晩餐を味わいたい。著者、および訳者の労に感謝する。


田邊由起夫（たなべゆきお）／日本基督教団茨木教会牧師
「本のひろば」2007年12月号
はじめに

ここ近年における主の晩餐のいいかげんな扱われ方ほど、現代と宗教改革の時代との間の差異を顕著に示すものはありません。宗教改革の時代には、主の晩餐は、とりわけ最も広く議論された主題でした。プロテスタント教会もローマ･カトリック教会も、信仰義認や聖書の権威といった神学的な主題よりも、主の晩餐を主題とした文章を次々と発表しました。言わば、主の晩餐は、人の信仰の立場をはっきりと浮かび出すリトマス試験紙でした。クランマーやラティマー、リドリ、フーパーといった殉教者たちは、ローマ･カトリック教会の実体変化説を否定したことで、火刑に処せられました。こうした事態に対し、プロテスタント陣営の論客たちは、他の神学上の諸問題よりも、主の晩餐に焦点を絞っていきました。数々の議論や定義が幾重にも積み重ねられ、サクラメントにおいてキリストが現臨される様態を明瞭に説明する試みがなされました。

しかし今日、主の晩餐は重要なものと位置づけられることがほとんどありません。任意に選択できる付加物であるかのようにすらみなされています。しばしば、人々の心地よい馴れ合いの儀式として、不用意に行われています。ある人々は、馴れ合いによって主の晩餐が貶められているとして、それを頻繁に行う諸教会に対し異議を申し立てます。主の晩餐を軽んじる傾向は、少なくともある部分では、十八世紀に、信仰覚醒運動や福音伝道主義が出現したことが影響しています。これらは、その当時、衰退しつつあった教会に対する反動として現れました。そこでは、ある人がキリスト者となる際には、その人自身の決定的な回心体験が重要であるとの主張がなされました。聖霊がその人自身の魂に直接に働いてくださることが舞台の中央に躍り出、教会とサクラメントの重要性は舞台のそでに退けられていきました。彼らは、まさしく直に聖霊による刷新の力を経験したかどうかで人を区別してきた、としばしばみなされています。こうした事態は、西欧の文化社会における個人主義化という地滑り的な転換が生じるにつれて、共同体としての諸活動や組織が、活力ある個人の私的経験を抑制する、と考えられるようになっていきました。

同じ頃、長老教会や改革派の諸教会も、このような考え方に侵食されていきました。一八四〇年代に、マーサースバーグのジョン･ネビンが主の晩餐に関する改革派の伝統的な教理を再解釈したとき、伝統的な神学的な立場の名うての擁護者たち、例えばチャールズ･ホッジたちから、厳しく反駁されました。歴史的な評価では、ネビンの方が正しく、ホッジの方が自身の神学的な伝統を誤解していた、とされています。ホッジは決して、ネビンが主の晩餐に関する改革派教会の教理について記した、何百頁にも及ぶ名著に対して反撃したのではなく、以後百年に及ぶ規準となった一つの論文をもって対応したにすぎませんでした1。

今日、長老教会、また改革派の伝統を継承する諸教会でさえ、イエス･キリストによって教会に伝えられている、この最も重要な事柄に対していいかげんである、と言わざるを得ません。たとえ教師検定試験をかなり慎重に実施する長老教会にあっても、ウェストミンスター信仰告白第二十九章の教えが特に取り上げられ、受験者に課せられることはほとんどありません。出版目録を見ても、主の晩餐について書かれた書物は少なく、しかも目録に記載されている書物の多くは既に一〇〇年以上も前に書かれたものです。本書は、これまで述べてきたような主の晩餐に対するいいかげんさが、いかに悲劇的なものであり、その改善がいかに緊急の課題であるのかを論証することにあります。

(著) ロバート・リーサム　(訳) 原田浩司

出版：一麦出版社

]]></content></entry><entry><title>主の晩餐　現代アメリカにおける聖餐への問い</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456771" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191456771</id><issued>2026-04-15T13:56:48+09:00</issued><modified>2026-04-15T04:56:48Z</modified><created>2026-04-15T04:56:48Z</created><summary>主の晩餐に対する改革派教会の歴史的な理解を諸教派の見解と比較しながら明らかにし主の晩餐への新たな渇望を呼び覚ます
われわれは、なぜ、主の晩餐を食すのか、いかにして主の晩餐においてキリストに与るのか、誰がこの「交わり」（コミュニオン）に加えられるのかなど...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[主の晩餐に対する改革派教会の歴史的な理解を諸教派の見解と比較しながら明らかにし主の晩餐への新たな渇望を呼び覚ます
われわれは、なぜ、主の晩餐を食すのか、いかにして主の晩餐においてキリストに与るのか、誰がこの「交わり」（コミュニオン）に加えられるのかなど、主の晩餐をめぐる諸問題を、聖書から説き明かす。

目次

　はじめに

　一章　主の晩餐の聖書的根拠
　　　一　主の晩餐と過越の食事
　　　二　新約聖書の用語
　　　　　　? パン裂き
　　　　　　? 主の食卓
　　　　　　? 主の晩餐
　　　　　　? 与ること･交わり（コミュニオン）
　　　　　　? ユーカリスト（感謝）
　　　三　聖餐式で、何が起こっているのか
　　　　　　? 記念
　　　　　　? 福音の宣教
　　　　　　? 主の体と血との「交わり」またはそれらに「与ること」
　　　四　「命のパン」としての主イエス
　　　　　　― ヨハネによる福音書　六章四七・五八節の考察―
　　　　　　（一）その文脈
　　　　　　（二）信仰を通して、主イエスは与えられる（ヨハネ六・四一―四七）
　　　　　　（三）主の晩餐において、主イエスは食され、かつ飲まれる（ヨハネ六・四八―五八）
　　　五　主の晩餐に関連する他の聖書箇所

　二章　教会史における主の晩餐

　　　一　物体的現臨――実体変化説
　　　二　物体的現臨――共在説
　　　三　不在という現実――記念説
　　　四　霊的現臨――霊的な交わり

　三章　改革派神学における主の晩餐
　　　一　ジャン･カルヴァン
　　　二　ウェストミンスター信仰規準

　四章　主の晩餐の実践
　　　一　主の晩餐の物素
　　　　　　? 一つのパン
　　　　　　? 一つの杯
　　　　　　? ぶどう酒
　　　　　　? 酵母のないパン？
　　　二　幼児洗礼を受けた子どもたちへの配餐？
　　　三　主の晩餐の頻度

　結び　主の晩餐とその未来

　訳者あとがき


まえがき

主の晩餐は、主イエス御自身によって始められたものであり、主イエスが再臨なさる時まで、これからもずっと執り行われることでしょう。わたしたちの主が、御自身の教会とその教会員の益のために、また御自身の栄光のために、主の晩餐を制定してくださいました。しかし、悲しいことに二つの誤りによって、教会の多くの部分が、新約聖書の福音書や手紙に表されている主イエス御自身の御旨から引き裂かれてしまいました。誤りの一つは、サクラメントは執行された事柄そのものによって霊的な恵みを伝える、とローマ･カトリック教会が教えてきたことであり、この教えは、パンとぶどう酒が実際のキリストの体と血へと変わり、キリストの体と血になる、と主張してきました。そしてもう一つの極端な誤りは、聖書に拠って立つ多くの教会が、ローマ･カトリック教会に対してあまりに反発した結果、主の晩餐を恵の手段とは考えず、ただの象徴に過ぎず、わたしたち自身の記念という人的行為から成るもの、と考えるようになったことです。

主の晩餐において、厳密に何が起きているのかをめぐって、改革者たちの間には決定的な違いがあります ―本書では、ルター派と改革派との不一致が論じられています―。しかし、 改革者たちがこれら両方の過ちを退けたことは明らかです。改革者たちは、恵みは事実上自動的に伝えられる、とのローマ･カトリック教会の教えを退ける一方で、わたしたちがキリストに与り、キリストを食べるという事実を強調して、主の晩餐には象徴以上のものがある、と主張しました。

聖餐の交わりにおいて、豊かな霊的な祝福がわたしたちを迎えてくださると確信するのは、本書で記されているとおり、スコットランドの偉大な神学者であるロバート･ブルースが述べたように、わたしたちは ―信仰において― 「よりよくキリストに与る」ことができるからです。わたしが望むこと、またわたしの祈りは、この訳書が日本の教会にとって益となり、わたしたちが皆、聖霊によって、信仰をとおして、キリストを食べ、キリストとの交わりと一体性において成長し、そうして、聖霊において、聖にして不可視なる三位一体の一致において、御父を知るようになることです。このことは、教会にとって大いなる益となるばかりでなく、わたしたちの様々な諸文化に対しても、福音の影響力をよりいっそう強めていくことになるでしょう。

2007年7月　ロバート・リーサム
訳者あとがき

本書はRobert W.A. Letham, The Lordﾕs Supper: Eternal Word in Broken Bread,（Presbyterian & Reformed Publishing Company,2001）の全訳です。

著者ロバート･リーサムは、ロンドンで生まれ、エグゼター大学で政治学を学び、その後、ウェストミンスター神学大学で、宗教学修士（七五年）と神学修士（七六年）を修め、アバディーン大学で「改革派神学における救いの信仰と保証…ツヴィングリからドルト会議まで（Saving Faith and Assurance in Reformed Theology: Zwingli to the Synod of Dordt）」という主題の論文で博士号（Ph.D）を取得しました（一九八〇年）。

リーサムは、二〇〇六年まで、北米アメリカの改革派･長老教会の中でも、メイチェン以来の伝統を受け継ぎ、ウェストミンスター信仰規準に堅く立つ「正統長老教会（Orthodox Presbyterian Church）」に所属するインマヌエル正統長老教会の主任牧師を十七年務め、他方で、ウェストミンスター神学大学の准教授職に従事し、その他、ワシントンＤＣにある改革派神学校でも組織神学を教えてきました。そして最近、前出の教会の牧師を辞し、二〇〇七年一月から、イギリスのウェールズ福音主義神学校（Wales Evangelical School of Theology）でも組織神学を教え始めるなど、大西洋をまたぐ形で、神学教師としての務めに専念しています。

本書の他に、リーサムによる書物は次のものがあります。
・The Work of Christ（IVP, 1993）
・The Holy Trinity（Presbyterian & Reformed, 2004）
・Through Western Eyes: Eastern Orthodoxy, A Reformed Perspective（Mentor, 2007）

更に、近日発売が既に告知されているタイトルとして、次の書物があります。
・Assurance in Theological Context: Reformed Dogmatics 1523-1619（Rutherford Studies in Historical Theology, 近日刊行）
・The Theology of the Westminster Assembly（Presbyterian & Reformed / Craig Center for the Study of the Westminster Standards, 近日刊行）
・Union with Christ（Presbyterian & Reformed, 近日刊行）

このように、これまで取り組んできた課題を精力的に執筆するなど、リーサムは今後、改革派の立場からは、よりいっそうの活躍が期待される神学者の一人となることでしょう。

本書は、第一章で主の晩餐に関わる聖書箇所が釈義的に検証され、続く第二章では、史的観点から、カトリックや正教会、ルター派や改革派、それぞれの聖餐理解の変遷や特徴、またその問題点が鮮明に述べられ、第三章では、カルヴァンの理解とウェストミンスター信仰規準に基づいて、宗教改革の時代から継承していた聖餐に対する改革派の立場が考察され、第四章では、現代における実践上の諸問題や課題について述べる、という仕方で、聖餐に対する複合的な観点から、重要な点が非常にコンパクトに整えられ、改革派・長老教会の聖餐論を見事に提供していると言えます。

ただし本書は、アメリカという文脈を背景に記されたものであるため、例えば「十八世紀の禁酒運動」など、必ずしも日本の文脈にそぐわない記述があります。しかし、本書全体を通して示されている内容は、とくにアメリカを経由して伝えられた日本のプロテスタント教会にとっても、十分一読に値するものです。読者諸氏にとって、本書に記されていることが、たとえ全面的に賛成ではないにせよ、おもに改革派･長老教会が聖餐について、歴史的に、どのような神学的な立場を取ってきたのかを整理しなおすことができます。そして現在におけるわたしたちの教会の聖餐（主の晩餐）理解やその実践について改めて吟味することができます。そして、本書の随所で示される問題提起と主張、そして課題は、長老教会に関わる者だけでなく、日本におけるプロテスタント諸教会にとっても、聖餐理解を神学的に検証する上で、とてもよい材料を提供している、と確信します。

本書は、いたずらに聖餐理解の妥協点を見出そうとするよりも、むしろ宗教改革期の聖餐をめぐる戦いをあえて再現することにより、いかなる論争が繰り広げられてきたのかをつまびらかに論じることで、今日において曖昧とされ、あるいは歪められつつある聖餐の要点に切り込んでいきます。特に、聖餐理解をめぐって殉教したイングランドの改革者たちについて述べる際、「殉教者たちは、主の晩餐が福音の縮図であることを的確に認識していました。主の晩餐に関して、人がどのような立場に立つのかは、その人がキリスト教信仰の全体をどのように理解しているのかを示す正確な指標です」（四七頁）との著者の言葉は、まさしくそのとおりです。

本書の翻訳へと駆り立てられた一因は、訳者が所属する日本基督教団における「未受洗者陪餐」という看過できない重大な問題です。現在、アメリカとイギリスの牧師養成の神学校において組織神学を講じる一神学者によって書かれた本書は、この問題に対しても、神学的、教会史的、そして聖書的な筋道を提供すると共に、長老教会の立場から、あるいは長老教会の立場に対して、聖餐の問題を考察する資料の一つとなることを期待しています。「はじめに」で、著者リーサムが打ち鳴らす警鐘は、日本の教会の現状にも、確かに鳴り響いています。ですから日本でも、牧師、神学生はもとより、長老たちの研修や信従の学習会のテキストとしても、本書が読まれ、有効に活用していただければ、幸いです。

さて本書は、出版された二〇〇一年当時、リーサムが牧師として仕えてきたインマヌエル正統長老教会の長老会とその会衆に対し献呈されました。訳者もまた本書を、二〇〇一年四月から主任担任教師として仕え、未熟な牧師を絶えず祈りと忍耐をもって支えてくださった日本基督教団富田林教会の長老会と会衆に、本年七月をもってその職を辞す節目に、感謝して献呈したいと思います。殊に、石原冨美子、植木孝治、岡本恭司、奥田繁子、藤田鹿一、山岡陽子、各長老には、共にキリストの主権を確立するために教会形成に取り組んだ日々を思い、感謝を申しあげます。願わくは、富田林教会がこれからもＡ・Ｄ・ヘール宣教師の宣教開始から受け継いできた長老教会としてのよき伝統を受け継ぎながら、また改革教会としての神学的理解を豊かに活かしながら、いよいよ主の御心に適う「キリストの体」として成長し、前進することを、心から祈り願います。

翻訳にあたり、訳者の拙い原稿に目を通し、不備を指摘すると共に、数々の貴重な助言をくださった関川泰寛先生（十貫坂教会牧師・東京神学大学教授）と秋山英明先生（大阪南吹田教会）に対し、心から感謝を申し上げます。それでも尚、翻訳上の責任は訳者にあり、数々の至らない点は、読者のお許しを請いつつ、ご叱正、ご教示をお願いいたします。

最後に、本書の意義を理解し、出版の路を開いてくださった一麦出版社の西村勝佳氏に、心から感謝を申しあげます。

二〇〇七年六月　富田林教会にて　原田浩司
書評

主の晩餐への新たな渇望を呼び覚ます

著者ロバート・リーサムは、現在米国のウェストミンスター神学校、改革派神学校（ワシントンＤＣ）、そして英国ウェールズ福音主義神学校と、大西洋をまたいで組織神学を講じ、近年、精力的に執筆活動を行っている神学者である。著者がこの書を執筆した理由を「はじめに」から引用しよう。「本書は、これまで述べてきたような主の晩餐に対するいいかげんさが、いかに悲劇的なものであり、その改善がいかに緊急の課題であるのかを論証することにあります」。この一文から、著者が、主に米国における今日の諸教会において、宗教改革の時代に比して、あまりにも主の晩餐が貶められている現状を憂い、本書を執筆したことが伺える。彼は、こうした聖餐を軽んじる傾向の一因として、十八世紀の信仰覚醒運動や福音伝道主義の出現等により、教会とサクラメント以上に、個人の回心体験を偏重する信仰の個人主義化への傾斜があるのでは、と指摘する。

訳者原田浩司氏のあとがきにも、「本書の翻訳へと駆り立てられた一因は、訳者が所属する日本基督教団における『未受洗者陪餐』という看過できない重大な問題からです」と記されている。恥を晒すようだが、日本基督教団内で「未受洗者陪餐」を実行する教会が出てきている。数十年前から既に兆候はあったが、今日その乱れは益々顕著に現れてきている。著者も訳者も、この二千年の教会の伝統、そして宗教改革の遺産を覆すこの現状を憂慮し、切なる願いを持ってこの書を著したのである。

さて、本書は四部から成り、第一章では主の晩餐の聖書的根拠が検証されている。特にここではヨハネ六章の釈義に多く割かれている。それは著者が、主の晩餐とは、何より、パンと杯を通して、キリストの体と血とに与り、キリストと一体となることに他ならないことを聖書から証言するためである。そしてそのことが歴史的教会の中で、いかに現実化されてきたのかが、第二章の「教会史における主の晩餐」で検証されていく。この章は「一物体的現臨――実体変化説、二物体的現臨――共在説、三不在という現実――記念説、四霊的現臨――霊的な交わり」とあって、項目だけ見ても想像できるように、しるし（物素）と実体（キリストの現臨）の関係の急所が押さえられている。すなわち、しるしと実体を同一視することで、信仰の必要性が失われ、聖餐が迷信化・偶像礼拝化してしまうこと、また聖餐が単なる記念のしるしであれば、キリストの体を喪失してしまうことが指摘されている。第三章「改革派神学における主の晩餐」では、先ず改革者カルヴァンの聖餐理解が改めて説かれ、そこからさらに著者の拠って立つ信仰規準であるウェストミンスター信仰告白の第二十九章に示された聖餐理解が検証され、実体変化説や共在説を退ける根拠が明示される。第四章「主の晩餐の実践」では、執行者がなぜ適切に按手を受けたみ言葉の役者でなければならないのか、物素や、晩餐の頻度、幼児洗礼を受けた子どもへの配餐は相応しいか等について、著者の見解や提言がなされている。特に幼児洗礼を受けた子どもへの配餐が近年増えてきている。実はその根底に、実体が変わるのだから信仰が特に必要とならない実体変化説、あるいは、聖餐を単なる象徴として、誰がそれに与ろうとも問題とはならないような記念説が潜んでいると指摘し、聖餐理解への警鐘を促している。

本書は、コンパクトながら、改革教会の聖餐論を明確に示す好書である。いや一教派教会の神学に留まらず、二千年の伝統を生き抜いてきた教会の、特に宗教改革以降の福音主義教会の土台となってきた聖餐の本質を再確認させる良書である。この書を学ぶことによって、未受洗者陪餐の問題の急所は、まさに「教会は主キリストのからだにして、恵みにより召されたる者の集い」（日本基督教団信仰告白）であることを信じる信仰の喪失現象であることが明瞭となってくる。

あらためて、聖霊の働きを信じ、み言葉に導かれ、天を仰ぎつつ、「新たな渇望」を持って主の晩餐を味わいたい。著者、および訳者の労に感謝する。


田邊由起夫（たなべゆきお）／日本基督教団茨木教会牧師
「本のひろば」2007年12月号
はじめに

ここ近年における主の晩餐のいいかげんな扱われ方ほど、現代と宗教改革の時代との間の差異を顕著に示すものはありません。宗教改革の時代には、主の晩餐は、とりわけ最も広く議論された主題でした。プロテスタント教会もローマ･カトリック教会も、信仰義認や聖書の権威といった神学的な主題よりも、主の晩餐を主題とした文章を次々と発表しました。言わば、主の晩餐は、人の信仰の立場をはっきりと浮かび出すリトマス試験紙でした。クランマーやラティマー、リドリ、フーパーといった殉教者たちは、ローマ･カトリック教会の実体変化説を否定したことで、火刑に処せられました。こうした事態に対し、プロテスタント陣営の論客たちは、他の神学上の諸問題よりも、主の晩餐に焦点を絞っていきました。数々の議論や定義が幾重にも積み重ねられ、サクラメントにおいてキリストが現臨される様態を明瞭に説明する試みがなされました。

しかし今日、主の晩餐は重要なものと位置づけられることがほとんどありません。任意に選択できる付加物であるかのようにすらみなされています。しばしば、人々の心地よい馴れ合いの儀式として、不用意に行われています。ある人々は、馴れ合いによって主の晩餐が貶められているとして、それを頻繁に行う諸教会に対し異議を申し立てます。主の晩餐を軽んじる傾向は、少なくともある部分では、十八世紀に、信仰覚醒運動や福音伝道主義が出現したことが影響しています。これらは、その当時、衰退しつつあった教会に対する反動として現れました。そこでは、ある人がキリスト者となる際には、その人自身の決定的な回心体験が重要であるとの主張がなされました。聖霊がその人自身の魂に直接に働いてくださることが舞台の中央に躍り出、教会とサクラメントの重要性は舞台のそでに退けられていきました。彼らは、まさしく直に聖霊による刷新の力を経験したかどうかで人を区別してきた、としばしばみなされています。こうした事態は、西欧の文化社会における個人主義化という地滑り的な転換が生じるにつれて、共同体としての諸活動や組織が、活力ある個人の私的経験を抑制する、と考えられるようになっていきました。

同じ頃、長老教会や改革派の諸教会も、このような考え方に侵食されていきました。一八四〇年代に、マーサースバーグのジョン･ネビンが主の晩餐に関する改革派の伝統的な教理を再解釈したとき、伝統的な神学的な立場の名うての擁護者たち、例えばチャールズ･ホッジたちから、厳しく反駁されました。歴史的な評価では、ネビンの方が正しく、ホッジの方が自身の神学的な伝統を誤解していた、とされています。ホッジは決して、ネビンが主の晩餐に関する改革派教会の教理について記した、何百頁にも及ぶ名著に対して反撃したのではなく、以後百年に及ぶ規準となった一つの論文をもって対応したにすぎませんでした1。

今日、長老教会、また改革派の伝統を継承する諸教会でさえ、イエス･キリストによって教会に伝えられている、この最も重要な事柄に対していいかげんである、と言わざるを得ません。たとえ教師検定試験をかなり慎重に実施する長老教会にあっても、ウェストミンスター信仰告白第二十九章の教えが特に取り上げられ、受験者に課せられることはほとんどありません。出版目録を見ても、主の晩餐について書かれた書物は少なく、しかも目録に記載されている書物の多くは既に一〇〇年以上も前に書かれたものです。本書は、これまで述べてきたような主の晩餐に対するいいかげんさが、いかに悲劇的なものであり、その改善がいかに緊急の課題であるのかを論証することにあります。

(著) ロバート・リーサム　(訳) 原田浩司

出版：一麦出版社

]]></content></entry><entry><title>（旧価格）旧約聖書物語 (日本語) </title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191439259" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191439259</id><issued>2026-04-14T12:14:43+09:00</issued><modified>2026-04-14T03:14:43Z</modified><created>2026-04-14T03:14:43Z</created><summary>旧約の歴史的な状況を説明しながら、聖書が意図するメッセージの中心を捕らえて解説。子どもだけでなく、大人にとってもわかりやすい入門書。力強いイラストも多数掲載。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
脇田/晶子
白百合短大国文科卒業。聖パウロ女子修道会シ...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[旧約の歴史的な状況を説明しながら、聖書が意図するメッセージの中心を捕らえて解説。子どもだけでなく、大人にとってもわかりやすい入門書。力強いイラストも多数掲載。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
脇田/晶子
白百合短大国文科卒業。聖パウロ女子修道会シスターとして、長年単行本の編集に携わり、自分でも児童向けに聖書関係の本を多数著作している

小野/かおる
東京生まれ。1953年東京芸術大学美術学部卒業。現在東京造形大学名誉教授、新制作協会会員、日本国際児童図書評議会理事。壁画レリーフやモニュメントのデザイン制作をし、また児童書の作家として、創作絵本やイラストレーションの制作をしている。サンケイ児童出版文化賞など、受賞多数

今道/瑤子
1951年東京女子大外国語科卒業。1975年ローマ・グレゴリアナ大学神学部卒業。1978年教皇庁立ローマ聖書研究所聖書学修士課程卒業。聖パウロ女子修道会シスター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

単行本: 237ページ
出版社: 女子パウロ会 
言語: 日本語
著者：脇田晶子　文　小野かおる　絵
発売日： 2002/9/1
梱包サイズ: 21.2 x 15.6 x 2.4 cm]]></content></entry><entry><title>＜新品・ダメージSALE＞十二かご　１</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191438980" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191438980</id><issued>2026-04-14T11:34:01+09:00</issued><modified>2026-04-14T02:34:01Z</modified><created>2026-04-14T02:34:01Z</created><summary>※新品です。表紙の左角に5mm程度の折れジワがあります。

本書は短編メッセージを集めたもので、十二巻からなり、各巻には十二編のメッセージがあります。各巻の内容は性質が異なっており、あるものは励ましの言葉、あるものは慰めの言葉であり、あるものは真理の認識に...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[※新品です。表紙の左角に5mm程度の折れジワがあります。

本書は短編メッセージを集めたもので、十二巻からなり、各巻には十二編のメッセージがあります。各巻の内容は性質が異なっており、あるものは励ましの言葉、あるものは慰めの言葉であり、あるものは真理の認識について語っています。これらのものから、兄弟姉妹の霊性におけるさまざまな必要に対して、パンのかけらの供給があるようにと願います。

この本は、2005年発売の全12巻のウォッチマン・ニー兄弟　ウィットネス・リー兄弟の全メッセージを訳した「十二かご」の完全版となります。(旧バージョンは全6巻で抜粋されたものです。) 

【目次】
　一　主に対する二種類の認識
　　　　−肉による認識とその霊による認識−
　二　永遠の十字架
　三　栄光へと至る道
　四　何か食べる物があるか
　五　彼に告げる
　六　現在享受することのできる祝福
　七　漏れることと漂うこと
　八　神の守る力
　九　救いのかぶとをかぶる
　十　キリストのからだの中に生きる三大原則
十一　油塗りの機能
十二　淵が淵を呼び起こす


著者：ウォッチマン・ニー　ウィットネス・リー
出版：日本福音書房]]></content></entry><entry><title>福音と世界　2026年5月号</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191434845" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191434845</id><issued>2026-04-14T09:19:41+09:00</issued><modified>2026-04-14T00:19:41Z</modified><created>2026-04-14T00:19:41Z</created><summary>特集＝教会の生き残りではなく、信仰者の歩みの継続を（責任編集＝林巌雄）

教会の経験から──地域に生きる使命と責任……久世そらち

福祉の現場で出会った「共に見出す福音」……林義亜

ありのままの自分を神と人の前で肯定する──セクシュアルマイノリティと教会……寺...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[特集＝教会の生き残りではなく、信仰者の歩みの継続を（責任編集＝林巌雄）

教会の経験から──地域に生きる使命と責任……久世そらち

福祉の現場で出会った「共に見出す福音」……林義亜

ありのままの自分を神と人の前で肯定する──セクシュアルマイノリティと教会……寺田留架

「傷によって共に生きる」共同体は可能か？……北口沙弥香

一神教と多神教との連帯に向けて──アレオパゴスのパウロに触発されて……金井美彦

犠牲・贖罪・聖書解釈……福嶋裕子

書評　J・ミルバンク著『神学と社会理論──世俗的理性を超えて』……坪光生雄

書評　加藤喜之著『福音派──終末論に引き裂かれるアメリカ社会』……相川裕亮

新連載　古代イスラエル史入門1
　古代イスラエル史とは何か……日?貴士耶

【連載】

ぼやき牧師のさすらい説教録14
　あなたは私を愛しているのか…..富田正樹

私が出会ったことば　その3
　軍団＝レギオン去れ──林 尚志……川本隆史

ズレズレなるままに2……川口弾

異端者の世界航海&#8212;&#8212;ハンス・キュンクの生涯14
　公会議がもたらした光と影……福嶋揚

「山上の説教」を読む──真（まこと）のイエスを探して8
　敵への愛……陶山義雄

人物・キリスト教史11
　高倉徳太郎──自我を徹して恩寵に至ろうと苦闘した生涯……戒能信生

新約釈義　ルカ福音書53
　ガリラヤ宣教の始まり4 : 14 − 44……山?ランサム和彦


表紙画……八木美穂子　


出版：新教出版社
判型: Ａ５]]></content></entry><entry><title>礼拝と音楽　No.209　2026 SPRING</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191434840" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191434840</id><issued>2026-04-14T09:18:26+09:00</issued><modified>2026-04-14T00:18:26Z</modified><created>2026-04-14T00:18:26Z</created><summary>教会音楽と礼拝を考える唯一の専門誌。
毎号特長ある特集を組み、専門家による寄稿を掲載。
「礼拝と音楽」最先端の研究誌。
季刊。

特集＝音楽と礼拝

礼拝には無限の可能性があります。神がわたしたちを招く礼拝はもっともっと生き生きとした喜びにみちたもので...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[教会音楽と礼拝を考える唯一の専門誌。
毎号特長ある特集を組み、専門家による寄稿を掲載。
「礼拝と音楽」最先端の研究誌。
季刊。

特集＝音楽と礼拝

礼拝には無限の可能性があります。神がわたしたちを招く礼拝はもっともっと生き生きとした喜びにみちたものであるはずだとわたしは信じています。わたしたちは生きておられる神と向き合って礼拝をしています。そうである以上礼拝もまた生きていて、礼拝の祈りも賛美も新しくなり続けるに違いないのです。礼拝は信仰のいのちです。礼拝を通して信仰は新たにされ、確かなものとされます。（小栗献「礼拝と音楽の七〇年」より）

◆礼拝と音楽の七〇年……小栗 献
◆礼拝における音楽の歴史─礼拝と音楽の二〇〇〇年とこれから……秋岡 陽
◆音楽から信仰、礼拝へ─キリストの出来事が生起する時間と空間の共有……松本義宣
◆教会の暦を生きる─キリストの神秘を記憶する教会の一年……宮越俊光
◆賛美歌をもっと大切に……荒瀬牧彦
◆お薦めの奏楽曲集─『讃美歌21』と奏楽曲集対照表……竹佐古真希
◆多様な礼拝を祝う道……宮? 光
◆これからの礼拝─混迷の時代に宣教的再構築と取り組む……石田 学

【好評連載】
◇古の響き、代々の祈り（15）……西脇純
◇聖書の歌をうたう（22）……浦上充・水野?一・鈴木道也・飯靖子
◇主日礼拝に備えて　説教者・奏楽者とともに……齋藤麻実・島田久美子・高杉香苗

出版：日本キリスト教団出版局]]></content></entry><entry><title>信徒の友　2026年5月号</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191434830" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191434830</id><issued>2026-04-14T09:16:30+09:00</issued><modified>2026-04-14T00:16:30Z</modified><created>2026-04-14T00:16:30Z</created><summary>信仰生活を豊かにするキリスト教雑誌。毎号異なる特集を組み、幅広いメッセージ、役立つ情報を提供。多彩な連載、豊富な証し。月刊。


特集＝役員会、大丈夫？

役員会が弱体化していないだろうか。
役員会とは何か、見直そう。

◆役員会の危機が教会の危機であ...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[信仰生活を豊かにするキリスト教雑誌。毎号異なる特集を組み、幅広いメッセージ、役立つ情報を提供。多彩な連載、豊富な証し。月刊。


特集＝役員会、大丈夫？

役員会が弱体化していないだろうか。
役員会とは何か、見直そう。

◆役員会の危機が教会の危機であるわけ……内城 恵（石川・羽咋教会牧師）
◆役員会のこんなところをチェックしよう……編集部
◆困っているなら教区に相談しよう……松浦裕介（前奥羽教区書記、広島牛田教会牧師）
◆自分に役員は無理と思っているあなたへ……小島誠志（日本基督教団隠退教師）
◆証し　こんな私が用いられること……栗崎英隆（福岡・門司教会員）、吉村啓子（東京・富士見町教会員）

◎特別読み物
・ここに教会がある　みんなで作り上げる共同体……大阪・大正めぐみ教会
・礼拝レポート　東日本大震災から15年を覚えて……編集部

＜連載＞
●祈り

●信仰者のポートレート
　─渡口差知子さん（大阪・大正めぐみ教会教会員）

●献堂しました
　─千葉・幕張教会

●植松氏、教会に行く
　─第2回「その静けさに意味はある？」
　　……清藤 淳（東京・松沢教会牧師）

●おいしく食べようよ
　─卵　その2「マヨネーズ」
　　……柳谷晃子（料理文化継承家、「Le Mani」主宰）

●ボクシの乗り物
　─第2回「パナソニック　ティモ」
　　……奥村貴充（和歌山 日本聖公会田辺聖公会）

●切り絵で描く もう12のおはなし
　─第2回「あわれみ深い者の幸い」
　　……澤田知子（切り絵作家）

●シンチャク！
　気になるこの本
　─『ブランコ』 ブリッタ・テッケントラップ 作　梨木香歩 訳（岩波書店）……評者：下田尾治郎（敬和学園大学宗教部長、教授）
　この映画が見たい
　─『幸せの、忘れもの。』

●世界の教会は今
　─英国・米国　教会役員の不足　対処法は？
　　……藤守義光（日本キリスト教協議会総務）

●神に愛された教会へ─テサロニケの信徒への手紙一を読む
　─第2回「み言葉の力によって立つ教会紙」1章2&#12316;8節
　　……川?公平（神奈川・鎌倉雪ノ下教会牧師）

●証し さんびかとわたし
　─「友なるイエスと」
　　……落合謙一（愛知・東海教会員）
　　
●じっと見て探して
　─「モーセのしゅうとエトロ」
　　……峯田敏幸（イラストレーター）

★日毎の糧……主日：古賀 博（東京・早稲田教会牧師）
　　　　　　　週日：森 言一郎（岡山・旭東教会、十文字平和教会牧師）
　聖書日課：出エジプト記、ヨハネ、使徒他
　祈りに覚える教会：大阪府、静岡県、神奈川県

発行：日本キリスト教団出版局
判型:   Ｂ５]]></content></entry><entry><title>ドイツ観念論の存在領解  
主体的形而上学への道</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191400439" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191400439</id><issued>2026-04-10T22:56:35+09:00</issued><modified>2026-04-10T13:56:35Z</modified><created>2026-04-10T13:56:35Z</created><summary>伝統的な形而上学を乗り越えるべく，近代の哲学は足もとに確固たる基盤を作り，揺るぎない実体を求め，思索を重ねた。カントを始めフィヒテ，シェリング，ヘーゲルを中心にその思索の軌跡を探究する。
カントは人知の健全な発展のために「超越論的観念論」で実在性を探求...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[伝統的な形而上学を乗り越えるべく，近代の哲学は足もとに確固たる基盤を作り，揺るぎない実体を求め，思索を重ねた。カントを始めフィヒテ，シェリング，ヘーゲルを中心にその思索の軌跡を探究する。
カントは人知の健全な発展のために「超越論的観念論」で実在性を探求し，新たな思想運動の切っ掛けとなった。限界の設定により生じる分裂と対立を克服して一貫した体系を構想することが，「純粋理性の体系」を継承する人々の理想となる。
フィヒテは「自我は存在を措定する」としたが，非我の定立で矛盾に陥り，シェリングやヘーゲルから批判を浴びた。独自の主観性に行き詰まった彼は，多様なものを絶対的統一に還元し，高次の「存在」の次元を示した。
それに対してシェリングは「客観的な主観＝客観」を定立，両者を統合する同一性の哲学を構想して，知性による「超越論哲学」と自然による「自然哲学」の「絶対的同一性の哲学」を主唱した。
ヘーゲルは「フィヒテとシェリングの哲学体系の差異」を公にし，シェリングの「現象する絶対者」に影響され，さらにフィヒテの現象論に共鳴して『精神現象学』の執筆に取りかかる。彼はその後「永遠の本質における神の創造」としての『論理の学』を書き上げ，「自然哲学」と「精神哲学」の体系を構想した。絶対者の体系を目指すため，有限なものを止揚し無限なものに至ろうとした。本書はこれらの思想のダイナミズムを見事に活写する。

序説　ドイツ観念論の課題と目標


第?部　存在と概念

　第１章　哲学のイデアリスムスと存在の理念――カントとヘーゲル
　　序
　　一　概念と存在
　　二　存在と様相
　　三　有限と無限
　　四　絶対的必然的存在者

　第２章　哲学の家郷性と自由の国への助走――ヘーゲルの主体性思想（1）
　　序
　　一　近代形而上学の逆説
　　二　ヘーゲルの実体論批判
　　三　反省の自己疎外と内在性
　　四　絶対者の自己開示作用

　第３章　実体の完成と概念の生成――ヘーゲルの主体性思想（2）
　　序
　　一　実体と実体性の関係
　　二　因果性の関係
　　三　作用と反作用および相互作用
　　四　概念の生成と構造


第?部　体系構想の競合

　第１章　19世紀初頭の体系論争――フィヒテ，シェリングの応酬とヘーゲル
　　序
　　一　『差異論文』の視点と論戦の実相
　　二　絶対者と明証の限界
　　三　絶対知と絶対的無差別
　　四　ヘーゲルとフィヒテの接近

　第２章　シェリングにおける同一性哲学の深化――無差別概念の積極性
　　序
　　一　体系構想の難関
　　二　無限論の発展
　　三　絶対者の世界創造
　　四　無差別概念の積極性

　第３章　観念＝実在論への行程――後期フィヒテ，シェリング，ヘーゲル
　　序
　　一　フィヒテの原理論
　　二　フィヒテ批判
　　三　超越論哲学の新理念
　　四　観念＝実在論の鼎立


第?部　超越論哲学の新理念

　第１章　1804年知識学の体系性――真理論と現象論
　　序
　　一　知識学の課題と問題
　　二　真理への道程
　　三　存在の記述可能性
　　四　現象論の前提

　第２章　フィヒテの意識事実論（1）――知の生の視点から
　　序
　　一　知の生と自由
　　二　自由の制限と身体的自我の発生
　　三　他我と共同世界の成立
　　四　生の生成と究極目的

　第３章　フィヒテの意識事実論（2）――1813年の現象論
　　序
　　一　現象の自己理解
　　二　超現実的存在への移行
　　三　自然の体系
　　四　現象の統一的体系


第?部　形而上学の復活と存在の再生

　第１章　思弁への階梯――否定性をめぐる歴史的対話
　　序
　　一　矛盾律の検証
　　二　否定の無限性
　　三　二律背反からの脱却
　　四　思弁の復権と境位

　第２章　形而上学の蘇生と論理学の課題
　　序
　　一　形而上学の危機
　　二　思弁の復権
　　三　矛盾律の補足
　　四　二律背反論の意義

　第３章　絶対理念の動態と存在の自己回帰性――ヘーゲルの理念論
　　序
　　一　存在の退縮
　　二　真理の理論的探究
　　三　実践の矛盾
　　四　絶対的理念と存在の自己回帰性

あとがき
索引

著者：山口　祐弘 

出版年月日	2026/04/20
ISBN	9784862854599
判型・ページ数	菊判・288ページ

出版：知泉書館


]]></content></entry><entry><title>哲学　第77号  感情はどのように哲学的に論じられるか――感情と政治／スピリチュアリティ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191400428" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191400428</id><issued>2026-04-10T22:52:54+09:00</issued><modified>2026-04-10T13:52:54Z</modified><created>2026-04-10T13:52:54Z</created><summary>●シンポジウム「感情はどのように哲学的に論じられるか――感情と政治」
・シンポジウム報告（池田　喬・神島裕子）
・感情以上説得未満――非人間化レトリックを例として自然言語の表出性を検討する（和泉　悠）
・共感・反感・尊厳――法を成り立たせる感情について（池田...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[●シンポジウム「感情はどのように哲学的に論じられるか――感情と政治」
・シンポジウム報告（池田　喬・神島裕子）
・感情以上説得未満――非人間化レトリックを例として自然言語の表出性を検討する（和泉　悠）
・共感・反感・尊厳――法を成り立たせる感情について（池田弘乃）
・パトスをともにするということ――感情・共同性・政治（中畑正志）

●学協会シンポジウム「スピリチュアリティ／霊性について」
・学協会シンポジウム報告（山田有希子・早川正祐）
・医療現場におけるスピリチュアリティの問題――在宅医の聞き取り調査から（井口真紀子）
・霊的次元の創出――トリコトミーの発生と痕跡をめぐって（伊原木大祐）
・スピリチュアリティの制度化――学問・社会・テクノロジーとの関連から（堀江宗正）

●哲学教育ワークショップ「哲学と教員養成」報告（阿部ふく子）

●初期キャリア研究者支援ワークショップ「哲学研究者の多様なキャリア形成を実現するために――学会に求められること」報告（高萩智也・内山真莉子）

●第八回　日中哲学フォーラム開催報告（直江清隆）

●応募論文
初期ニーチェの真理探究批判――「道徳外の意味における真理と虚偽について」に注目して（内田智之）
実践的知識の「完了」への拡張（岡部幹伸）
否定に関するベルクソンの非対称主義（小田切裕史）
クワイン真理論はデフレ主義か――性質インフレ主義としてのクワイン真理論（清田俊介）
〈拡張された心〉仮説と〈足場に支えられた心〉仮説のハイブリッドモデルの提案（神崎祥輝）
純粋な活動性としての「精神」――アンリ・ドラクロワの神秘主義研究が初期サルトルのイメージ論に与えた影響（児玉一嶺）
混合推論問題への応答――対応多元主義の立場から（駒田珠希）
カントの五感論について――思想史的な観点からの再検討（繁田　歩）
コーヘンにおける「無限小法」の意義――極限法批判に着目して（下山史隆）
ミルの自由擁護論と「自分に関わる」行為（鈴木英仁）
前期ドゥルーズにおける「包括」「展開」「内含」概念の形成――古代新プラトン主義およびルネサンスの内在の系譜を通じて（人見隼平）
最初期ハイデガーと非人称表現（山崎　諒）
カントにおける前成説と後成説――「自然史」概念の理解に向けて（李　明哲）
プラトン『饗宴』における人間の本性について――アリストパネス演説とソクラテス演説を中心に（劉　思敏）
モラリズムについて（渡辺一樹）
「基礎的な相応しさの意味での道徳的責任」概念の両立論的修正（渡辺浩太）

日本哲学会規則
日本哲学会役員選出・評議員選挙細則
日本哲学会役員一覧
日本哲学会研究倫理規程
日本哲学会応募論文公募要領（日本語論文）
日本哲学会応募論文公募要領（欧文一般公募論文）
日本哲学会ｗｅｂ論集『哲学の門：大学院生研究論集』応募論文公募要領
日本哲学会若手研究者奨励賞
日本哲学会著作権規定
日本哲学会林基金及び運営規定

●インターナショナルセッション総括　Possibilities of Southeast Asian Philosophy（望月太郎／モハマッド・アリノール・ビン・アブドゥル・カディル／カセム・ペンピナント）

欧文要旨
欧文目次


日本哲学会 編

出版年月日	2026/04/01
ISBN	9784862859778
判型・ページ数	B5・380ページ


出版：知泉書館


]]></content></entry><entry><title>【中古CD】 Watoto Children&apos;s Choir &amp;#8211; Beautiful Africa: A New Generation</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191394492" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191394492</id><issued>2026-04-10T15:52:08+09:00</issued><modified>2026-04-10T06:52:08Z</modified><created>2026-04-10T06:52:08Z</created><summary>※使用感は全くありません。

日本にも何度も来ているワトトのアルバム。

収録曲
Africa/Come And Dwell	2:59
Ni Yesu We	3:38
Not Alone	5:10
Beautiful Africa	3:37
African Praise	2:57
Ani Yakulokola	3:24
Milele	4:21
Lord I Need You	4:24
Sing, Sing...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[※使用感は全くありません。

日本にも何度も来ているワトトのアルバム。

収録曲
Africa/Come And Dwell	2:59
Ni Yesu We	3:38
Not Alone	5:10
Beautiful Africa	3:37
African Praise	2:57
Ani Yakulokola	3:24
Milele	4:21
Lord I Need You	4:24
Sing, Sing	3:44
Shine	3:08
Beautiful Africa Reprise	1:07]]></content></entry><entry><title>聖書の人間像　人類の古典に学ぶ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191387768" /><id>https://dp00009568.shop-pro.jp/?pid=191387768</id><issued>2026-04-10T10:43:17+09:00</issued><modified>2026-04-10T01:43:17Z</modified><created>2026-04-10T01:43:17Z</created><summary>「人間学」から始めるやさしい聖書入門

キリスト教の聖典である聖書において、人間はどのように描かれ、どのように生きることが求められているのか。旧約・新約聖書の主要テキストに描かれた個々の人間理解を検討し、聖書全体を通しての人間観を概説した、キリスト教初...</summary><author><name>Gospel Light Store　ゴスペル・ライト・ストア　クリスチャンショップ（書店）大阪府和泉市</name></author><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[「人間学」から始めるやさしい聖書入門

キリスト教の聖典である聖書において、人間はどのように描かれ、どのように生きることが求められているのか。旧約・新約聖書の主要テキストに描かれた個々の人間理解を検討し、聖書全体を通しての人間観を概説した、キリスト教初学者にも好適な聖書入門書。

〈キリスト新聞社から刊行された同名の書籍（初版2009年）と内容・価格は同一です。〉

出版：教文館
著者：嶺重淑

発売/発行年月: 2026年4月
判型: A5
ページ数: 202頁]]></content></entry></feed>